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歴史ミステリー

曹操と信長を徹底比較!どっちが強い??

三国志で覇道を貫いた曹操と日本の戦国時代において第六天魔王を自称した信長。 歴史上の人物で比較される君主や武将は多いですが、曹操と信長には共通点が多いことでも有名です。

九州大学生体解剖事件…人肉を食べたって本当?

九州大学生体解剖事件では、生きたままの捕虜にに対して”肺を切除”したり”薄めた海水を血管に注入”したりして8名の捕虜を死亡させました。 その後のGHQの裁判で関係者への聞き取りが行われその中から「人肉食」というとんでもない話が飛び出したのです。 生体実験をしたというだけでもかなりグロテスクですが、その上、人肉を食べていたとしたら…。   [ […]

稀代の奇策 死刑囚を囮に使った越の范蠡(はんれい)

始皇帝の時代から少し遡った紀元前496年頃、春秋時代に入っていた中国では力を持ったいくつかの国が覇権を唱えていた時代がありました。 そんな中に起こった呉と越の戦いにおいて、越の范蠡(はんれい)という人物が使った戦法が非常に不気味なものでした。

三国志の有名美女 大喬と小喬の史実は悲しい物語だった

三国志で有名な美女と言えば、貂蝉と二喬と呼ばれた「大喬」「小喬」に姉妹が挙げられます。 貂蝉は三国志演義において呂布との話に登場する女性であり、大喬と小喬は呉の将軍である孫策と周瑜の側室として知られています。

秦の始皇帝の目指した不老不死と水銀の妙薬

過去2回にわたってキングダムのモデルになった始皇帝の実像や功績について簡単に紹介してきましたが、ここからは少しミステリアスなお話になります。 中国を史上初めて統一した政こと始皇帝は自身の墓となる陵墓を王位についた段階で建設し始めていました。

劉備を支えた蜀の五虎大将軍とは?最強と恐れられた武人の実像

以前紹介した記事で劉備の戦下手について紹介しましたが、その一方で後世にまで語り継がれる武勇や知勇を持った将軍、軍略家なども味方にすることに成功しました。 特に劉備の配下において戦場で活躍した将軍は、蜀漢を正式に建国した後に「五虎大将軍」の異名が与えられ、それぞれ高位の将軍職に任命されます。

あの世から帰ってこれなくなる?「黄泉戸喫(よもつへぐい)」とは何なのか?

黄泉戸喫(よもつへぐい)という言葉をご存知でしょうか? これは、黄泉の国(死者の国)で飲食をすることを指すのです。 黄泉の国で出された食べ物などを口にしてしまうと、恐ろしいことが起きてしまうのです。 この記事では、そんな黄泉戸喫についての言い伝えなどを紹介しています。

始皇帝の功績 たった10年で成し遂げた改革と滅亡

始皇帝の評価は死後、現在に至っても分かれるところですが、そもそも始皇帝自身が一体何を行ったことを評価の対象にされているのかをご存知でしょうか? もちろん、史上初となった中国全土の統一という偉業は始皇帝の代表的な功績の1つに挙げられますが、始皇帝が評価される理由には統一後の政治と改革も含まれます。 しかし、秦の始皇帝は39歳の時に中国統一を成し遂げて、それから10年後、49歳でその生涯を終えるのです […]

三国志 孫策の死因とその最後とは?江東の小覇王

三国志における英雄の1人、江東の小覇王と呼ばれた孫策は呉の国の礎を築いた勇猛な武将であったと言われています。 しかし、結論から先に言ってしまうと魏、呉、蜀の三国鼎立の頃、既に孫策はこの世を去っていました。 孫呉の礎を築きながら、動乱の時代の中で若くして最後を遂げた英雄が孫策だったのです。

魏の楽進が史実の三国志ではヤバ過ぎる活躍と功績を残していた

皆さんは三国志の魏の武将で「強い!」とイメージする人物はいるでしょうか? 張遼や徐晃、夏侯惇、曹仁などなど、思いつく武将を数えればきりがありませんが、すぐに楽進の名前を出す人は少ないかも知れません。 実は史実の魏の武将で非常に強かったとされる人物には楽進が挙げられます。

【封神演義】紂王(ちゅうおう)は本当に暴君だったのか?孔子との関係は本当?

封神演義では圧倒的な悪役として描かれる「殷王朝」において最後の王となった紂王ですが、実際の評価は現在見直されつつあります。 一般的なイメージとしては、「妲己に溺れて暴君として政治をした」「民を顧みない政治をしていた」「残虐な処刑を数多く行った」というイメージが先行しがちです。

ただのメモが5億円!?ダ・ヴィンチの「手稿」の魅力を探る。

手稿とは、天才画家レオナルド・ダ・ヴィンチが遺したメモのこと。ダ・ヴィンチは、いわゆるメモ魔でした。当時はスマートフォンなんてありませんから、パッと思いついたことをすぐつぶやいたりできないわけです。「人間観察」「自然観察」「様々なアイデア」「日々思いついたこと」「その瞬間感じたこと」とにかくなんでもメモに残す人でした。

【世界の七不思議】エフェソスのアルテミスの神殿

古代ギリシャの建築物で有名な神殿と言えば「パルテノン神殿」が頭に浮かびますが、フィロンによって世界の七不思議に数えられたエフェソス(現在のトルコ)にあったアルテミスの神殿は、当時の建築技術の限界に挑戦したものであったと言われるほど、巨大かつ美麗なものだったと伝わっています。

【世界の七不思議】ハリカルナッソスのマウソロス霊廟

世界の七不思議に数えられる建築物の多くは古代ローマ帝国の影響を受けていると言われていますが 現在のトルコ南西にあるボドロムという都市に残されているマウソロス霊廟はペルシャ帝国の時代に造られたと言われています。

卑弥呼の謎・なぜビッグネームとなったか

現代では日本に王様という概念がないため最高権力者に近い方はいますが、王様と言える人は存在していません。 しかし過去には日本でも王様といえる人が存在しておりその初代が邪馬台国を収めていた「卑弥呼」と言われています。

日本の最強の予言書「日月神示」

世界では様々な預言書や預言者がいます。 日本で有名な預言書と言えば「日月神示」です。 知っている方はたくさんいると思いますが、この内容について詳しく知っている方は多くないと思います。 この記事は日月神示が示した預言について詳しく迫っていきます。

【世界の七不思議】ギザの大ピラミッドの謎をあらためて考える

世界の七不思議において、建造物の技術や文明の源流となったと言われているのは、マケドニア帝国の王であったアレクサンドロス大王による世界征服でした。 この流れにおいて成立したものはヘレニズム時代と呼ばれており、多くの文明が混じり合った結果として、技術力などが大きく発展したと言われています。

【世界の七不思議】古代オリンピアのゼウス像

今回紹介したいのは「世界の七不思議」の中でも、最も史料の乏しいとされている巨大なゼウス像のお話です。 ギリシャ神話に語られるオリンポスの最高神とされるゼウスは今では多くの人が知っている神様の1人です。

【世界の七不思議】ロードス島の巨像ヘリオス

世界の七不思議の中でも最もベールに包まれている存在とされているのが、現代のギリシャ領にあるロードス島にかつて存在したとされる巨大なヘリオス像です。 ヘリオスとは、ギリシャ神話上の太陽神であり、ヘリオス像が立っていたとされる時代には多くの民衆に信仰されていたと言います。

【世界の七不思議】アレクサンドリアの大灯台と海に沈んだ残骸

世界の七不思議の建造物の中でもギザの大ピラミッドに次ぐ巨大さを誇ったと言われているのが、エジプトのファロス島に存在したアレクサンドリアの大灯台です。 以前紹介した、「ロードス島のヘリオス像」や「バビロンの空中庭園」を選んだ、フィロンには建造されていなかったという理由から選ばれなかった

野間大坊~源義朝最後の地~

愛知県知多郡美浜町野間にある寺院の野間大坊。 鎌倉幕府を開いた源頼朝、弟の源義経兄弟の父である、源義朝公の最後の地とされ、境内には義朝の墓があります。 また、境内には義朝の首を洗ったとされる血の池もあり、ちょっとした心霊スポットになっています。

【世界七不思議】幻のバビロン空中庭園

世界各地にはその存在の根拠がいくつかは残っているものの、完全な立証がされていないものを含めて世界の七不思議と呼ばれる巨大建造物があります。 これらは紀元前2世紀頃、古代ギリシャの数学者であったフィロンによって選ばれたものですが、それ以前にも他国の壮大な建造物を世界の七不思議に数えていたと言われている人物も存在しています。

日本人を奴隷として売っていた?!キリスト教弾圧の理由

昔、まだ、人が物として売られることがあった時代に、実は、日本人奴隷がいた…それもヨーロッパなどの遠い国に…。と言われると「嘘でしょ」と思ってしまう方もいらっしゃるのではないでしょうか。ですが、実はこれ、本当にあったことなんです。そして、日本の黒歴史のひとつ「キリスト教の弾圧」と、日本人奴隷が関わっているのです。