これは「新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件」に関する記事の【後編】です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【前編】からお読みください。
事件発覚
歌織 走査線に浮上
歌織の夫・祐輔さんの死亡—。
それは夫の上司が現場マンションの防犯カメラの映像をチェックしたことで明らかになった。
映像からは夫(部下)がマンションに入った様子が確認できるが、それ以降外出した様子がみられない。つまり、失踪したとみられた彼はどこかへ姿を消したのではなく、”自宅にいる”。
これにより捜索願提出との矛盾が生まれたほか、歌織が捜索願に記述した「夫の胸には手術痕あり」という虚偽申告(実際には手術痕はなかった)。こうして、捜索願を出していた妻・歌織に疑いの目が向けられるようになった。
遺体発見
警察の見立て
死体遺棄当日の12月16日。
東京都新宿区西新宿の路上で、ビニール袋に入った上半身だけの遺体が発見される。当初、日本一の歓楽街「歌舞伎町」に近い西新宿という土地柄から、警察は被害者を”外国人である”とし、また犯人は反社会的勢力(暴力団関係者や中国系マフィアなど)という見方を強めた。
こうして警察は本事件を歌舞伎町ではよくみられる「抗争事件」の線で捜査を進めた。
第二の遺体発見
12月28日。
東京都渋谷区内にある空民家の庭で下半身のみの切断遺体が発見された。
後にこの下半身遺体と16日に発見された上半身遺体のDNA鑑定が行われ、これが一致。この事実から遺体は歌織の夫・祐輔さんであると判明した。これにより、警察は歌織がホシ(犯人)であるとして確信を抱いた。
三橋逮捕
第三の遺体発見
最初の遺体発見から約1か月後の2007年1月10日。歌織は死体遺棄容疑で逮捕された。
尚、この逮捕後、歌織の供述によって第三の遺体である頭部が東京都町田市の芹が谷公園で発見された。

本事件犯人 三橋 歌織のバックグラウンド

三橋 歌織
旧姓:川口 歌織。
新潟県出身。会社経営の父を持つ裕福な家庭で育った。いわゆる”お嬢さま”。
父親の経営する会社は「株式会社 川口コピー工業」。会社は業績良好であったが、バブル崩壊後に業績が悪化。2002年(平成14年)に廃業。
実家は新潟県新潟市内にある(2020年現在、「建物が現存しているか」「土地の所有権は尚も川口家にあるのか」といったことは不明)。
2007年、本事件が世間に明るみになると、表札は外されて家はもぬけの殻になった。


学歴

新潟市立坂井輪中学校
新潟県立新潟中央高等学校
白百合女子大学 卒業
パーソナリティー
- 『金とステータス至上主義』(楽に稼ぎたいという意識、職業差別)
- 高い知能 (頭がキレる。故に口論においては最強)
- 狡猾 (例:口論の際に相手を侮辱して手を出させ、それを逆手に取る)
- 極めて高いプライド
- 激しい虚言癖 (見栄っ張り。これには高いプライドが影響)
- 強い欲求 (とりわけ物欲)
- 感情の起伏が激しく、攻撃性を孕んでいる (ストレートな感情表現)
- 一度抱いた恨みは晴らすまで忘れない粘着質な性格
- 対外的には社交性を示すが、本質は内向的な性格
- 自分にとって有益(主に金銭的)な人間に対しては好意的な態度を取る
- 同性に対しては敵対的な態度をみせる(故に女性の友人が少ない)
- 打算的な性格 (「使える」もしくは「使えない」かで人を選別する)
- 逃避傾向がある (都合の悪いことからは逃れる)
- 女性の「若さ」「優れた外見」に固執 (これらが金を生むという強い意識)
- 「地味」や「地道」を嫌う
三橋 祐輔 (夫/被害者)について
妻・歌織との関係
夫・祐輔氏は福岡県出身。
中央大学の法学部法律学科に入学。恐らく弁護士を目指していたのではないかと思われる。2001年3月の大学卒業後は法律事務所でアルバイト勤務をしていた。
2002年11月頃に後の妻となる歌織と出会い、すぐに交際開始。驚くことに、翌12月には同棲をはじめた。翌年2003年3月には結婚。出会いから結婚まで半年未満の超スピード婚であった。尚、2人が結婚に踏み切ったのは歌織が妊娠したことによる。
結婚はしたものの、その当時の祐輔氏はアルバイトの身で年収300万円ほどと家族を養うには乏しい経済力であった(このときの家計は歌織が支えていた)。そのため、生活の不安を抱いた歌織はその後すぐに人工妊娠中絶を行った。
夫婦は結婚後数か月で不仲となり、やがて祐輔氏は歌織に対して家庭内暴力(ドメスティックバイオレンス)を行うようになった。これが原因で歌織はPTSDを発症。
このPTSD発症に伴い、一時はシェルター(保護施設)に避難したこともあった。
ちなみに祐輔氏には不倫相手がいた。これは妻である歌織も同様であった。
命の安全が脅かされるような出来事(犯罪、虐待、事故など)によって強い精神的衝撃を受けることが原因で、著しい苦痛や生活機能の障害をもたらすストレス性の障害のこと。いわゆる「トラウマ」。
祐輔氏のステータス

“モルガン・スタンレー”といえば、アメリカ・ニューヨークに拠点を置く世界的な金融機関グループである。

結婚時にはアルバイトの身であった祐輔氏であったが、歌織には”夫の将来のステータス”がみえていたのかもしれない。
大企業への就職によって年収も1,000万円を超え、住まいもさることながら衣服も高級ブランドものに変わり、身なりも派手になった。

11階建て、2005年6月築、代々木公園駅から徒歩3分
パーソナリティー
- ステータス志向
- 面食い
- 高いプライド
- 高い知能
- 野心家
- 狡猾
- やるときはやるタイプ (怠惰な一面もあるが、目標が定まると一転して努力家となる)
- 地味で地道な仕事を嫌う (一発逆転を狙う)
- 女たらし (口が巧い)
- 無節操 (浮気性)
互いの性格を照らし合わせるとよく似ている。まさしく”似たもの同士”といえる夫婦であった。

事件の解説 2.
犯行動機
三橋夫妻の夫婦仲が悪かったことは先述のとおりであり、それに伴って家庭内暴力を受けていた妻・歌織。これにより、歌織が積年の恨みを募らせていたことは想像に容易い。
事件当日となる2006年12月12日早朝。
殺害の1時間ほど前に、2人は激しい口論をしていた。このとき2人の口論は別れ話にまで発展したといわれている(一説には、このとき歌織が離婚届を突きつけたとも)。これを裏付けるように、歌織はこのときの心情を「別れるだけでは(慰謝料だけでは)済まされないと思い、殺した」と後に明かしている。
ちなみに犯行直後、歌織は惨たらしい死を遂げた夫の遺体を横目に平然と食事を摂っていたという。よしんば夫の殺害が衝動的なものであったとしても、殺害後のこの冷静さは異様である―。
夫殺害後、歌織は家具に遺体の臭いが染みついていると思い、業者に依頼してこれらを廃棄。また大量の血液が付着したマットレスは新潟の実家へ送った。さらには部屋に染み付いた臭いを懸念し、室内をリフォーム。夫が死に収入が途絶えたことに加え、こうしたことによる多額の出費によって経済的に困窮したのか、亡き夫の会社に対して給料やボーナスを振り込むよう執拗に求めていたという。
一説によると、夫婦の口座残高は5万円ほどであったといわれている。
裁判
初公判 (一審)
2007年(平成19年)12月20日。
本事件の初公判が東京地方裁判所にて開かれた。先述のとおり、夫妻は共に不倫していたために、検察側と弁護側の証人に互いの不倫相手が出廷するという異例の裁判となった。
裁判での焦点は歌織の犯行時の精神状態、責任能力の有無。そして、ここで注目すべきは、検察側と弁護側の鑑定証人が共に「犯行時は心神喪失状態であった」との判断を下したこと。この点においても異例ともいえる裁判となった。
こうしたほか、この裁判は2004年に導入が決定(施行は2009年)した裁判員制度を想定したモデルケースとしても注目を集めた。そのため、裁判の中では検察側と弁護側が精神鑑定を行った医師に対して同時に質問するといった異例の形式を採った。
弁護側の主張
「被告人(歌織)は犯行時に心神喪失状態にあり、責任能力はない」として無罪を主張。
(歌織は「遺体を捨てたとき、夫の声が聞こえた」「警察署で鏡に映った夫の姿を見た」などと幻覚や幻聴の症状を訴えていた)
検察側の主張
弁護側の主張を受け、検察側は「被告人の責任能力に問題はない」として懲役20年を求刑した。
(検察側はこれに併せて精神鑑定の再鑑定を請求したが、これは却下された)
関係者はもとより、世間のとりわけ裁判に造詣のある者は、この裁判の判決に強い関心を寄せた。というのも、近年では裁判において、精神鑑定の結果を重視した判決が出る傾向にあるためだ。
このように、本事件の初公判は異例尽くしであり、さまざまな角度からの視線を集める注目の裁判となった。
判決 (一審)
2008年4月28日。
東京地方裁判所、河本 雅也(かわもと まさや)裁判長は以下のように述べた。
「動機が明瞭で計画性も認められる。また、犯行後の死体遺棄や証拠隠滅から精神状態は犯行の手助けにしかなっていない」
こうして歌織の完全責任能力を認め、懲役15年の判決を言い渡した。
弁護側による控訴
歌織の弁護側は判決に不服として、同年5月9日に控訴。
控訴審公判 (二審)
二審となる控訴審公判では3度目となる精神鑑定が行われ、歌織の完全責任能力を認める鑑定結果が証拠採用された。
控訴審公判最終弁論
2010年5月。東京高等裁判所。
この控訴審公判最終弁論による双方の主張は以下のとおり。
弁護側の主張
一貫して心神喪失による無罪を主張。
検察側の主張
精神鑑定の信憑性の高さを主張し、公訴棄却を求めた。
控訴審判決 (二審)
同年6月22日。
控訴審判決公判が開かれ、出田 孝一(いでた こういち)裁判長は一審判決を支持し、弁護側の控訴を棄却した。
弁護側は上訴権を放棄したために、懲役15年の刑が確定した。
おわりに
歌織は、逮捕後の供述で次のように語っている。
「妻として、女として扱ってほしかった」
そこに後悔や反省の言葉はなかった—。
ちなみに事件発覚後、世間では本事件を「エリート殺人事件」と呼ぶようになった。そしてまた歌織逮捕後には、本事件は揶揄され、一部で「カオリン事件*」と呼ぶ者も現れた。
*本事件犯人の名前「歌織(かおり)」に由来
また事件から10年後となる2016年、本事件をモチーフにした映画『ひかりをあててしぼる』が公開された。
互いに愛人を持つ、夫婦を装った”夫婦”。そこに愛があったとは到底思えない。
ひとつ確かなことは、互いの持つ黒い欲望がこの事件をもたらしたということである―。
オラクルベリー・ズボンスキ