【未解決事件】『長岡京ワラビ採り殺人事件』を徹底解説 -1- 【考察シリーズ】

“採ったワラビをその日の晩、家族に食べてもらうつもりだった”

昼下がりの山中で主婦2人が惨殺され、未だ事件は未解決のまま―。

今回取り上げる未解決事件は『長岡京ワラビ採り殺人事件』。凄惨かつ謎の多い事件のひとつとして、現在も多くの人がこの事件に関する憶測を交わします。

【考察シリーズ】第6弾。今回もまた、本記事筆者 テンペ・ワゾスキが未解決事件を独自の視点やリサーチに基づいて徹底解説。記事の終盤には事件の考察を展開。謎多き未解決事件の真相に迫ります。

※本記事で記述している各情報は、筆者が精査し”信憑性が高い”と判断したものです。また、本記事のおわりに結論として示す「真相」とは、筆者による考察のことを指します。

『長岡京ワラビ採り殺人事件』の概要


事件を報じる当時の新聞

1979年(昭和54年)5月23日、京都府長岡京市の山中で主婦2人が殺害された。

この事件の被害者となったのは、明石 英子さん(当時43歳)と水野 恵子さん(当時32歳)。年齢が離れている2人であるが、これは同じパート先に勤める同僚の関係であったためである。

事件当日、明石(あかし)さんと水野さんはパート勤務を終えた後、近くの山へワラビ採りに出かけた。しかし2人はそのまま帰ることなく、2日後の25日、山頂付近で遺体となって発見されることとなる。2人はいずれも残忍な方法で殺害されており、遺体発見現場は目も当てられないような惨状であった。

殺害現場には殺害された2人のものだけでなく、犯人の遺留品がいくつか残されていた。さらに6月も近い初夏、シーズンを迎えた里山は入山者も比較的多かった。そのため、犯人逮捕に対する楽観視も一部ではあった。
とはいえ、事件が起きたのは木々が生い茂る”死角の海”の中。犯人の目撃証言は乏しい。こうしたことから警察は事件の端緒を掴むことができず、捜査は難航を極めることになる―。

事件現場について

「奥海印寺(おくかいいんじ)」と呼ばれる地域の『野山』という特定区域。標高約230メートルの里山の山頂付近で2人は殺害された。
この辺りではタケノコや山菜が採れることもあり、普段から山菜採りやピクニックの人がみられる。事件が起きた5月はこれらのシーズンであったこともあり、平時よりも多くの入山者(15~20人ほど)がいた。登山口周辺には5,6台の車両も駐車されていた。
また事件当時、野山周辺には宅地造成地があり、事件当日も多くの工事関係者がその麓で作業を行っていた。こうしたことから、入山前(麓)や入山後(山中)の人の目は比較的多い状況であったといえる。


殺害現場となった里山へと続く「光風美竹通り (こうふうみたけどおり)」 (2014年)


「光風美竹通り」上記写真の地点 (緑色のライン)

本事件の被害者2人に関して

現在においては、この被害者2人の氏名は一般に知られていない。事件から40年以上経った今もこの事件に関する記事は数多く存在するが、どれも「主婦A」「主婦B」といったように記されている。(2020年6月現在)

被害者の表記を「A」「B」というようにするのは、”イニシャルにした方が読者が理解しやすい”という狙いによるものかもしれない。または何かを恐れているのかもしれないが、本記事ではあくまで実名表記。リアルを追求する。


事件の解説(事件発生から遺体発見まで)は【パート2】にて。