これは「新潟少女監禁事件」に関する記事の【パート5】です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。
裁判
起訴
新潟地方検察庁は、佐藤を未成年者略取誘拐と逮捕監禁致傷の容疑で新潟地方裁判所に起訴した。佐藤が房子さんに負わせた傷害のうち、起訴事実は両下肢筋力低下と骨量減少などに留まり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)についてはこれに盛り込まれなかった。
命の安全が脅かされるような出来事(犯罪、虐待、事故など)によって強い精神的衝撃を受けることが原因で、著しい苦痛や、生活機能の障害をもたらすストレス性の障害のこと。いわゆる「トラウマ」である。
本件に関して、このPTSDが起訴事実に盛り込まれなかったのは、裁判の過程で予想される房子さんへの精神的負担とプライバシー保護に配慮したためであるといわれている。
公判
第一回公判 (初公判)
2000年5月23日。
ここでも房子さんのプライバシーは保護され、通常行われる起訴状の被害者名読み上げは省略された。
佐藤の弁護人も房子さんを証人尋問することはなかった。このことに関して弁護人は以下のように語っている。
「私も人の親なので、正直に言えば、(房子さんを)法廷にまで連れてきて尋問したくないという気持ちがある」
第二回公判前日 (追起訴 -余罪について-)
2000年6月26日(第二回公判の前日)、検察は佐藤の窃盗罪で追起訴を行った。(佐藤は房子さんに着せるための下着をホームセンターで万引きしていた)
このとき検察は、佐藤にできる限り重い刑を与えるために「併合罪」の適用を狙っていたと思われる。「併合罪」とは・・・
複数の罪を犯した場合、その中で最も重い罪の最高刑を1.5倍にした刑期が量刑の上限となる。
佐藤の犯した罪の中で最も重いのは逮捕監禁致傷罪であり、この最高刑が懲役10年。もしもこの併合罪が適用されれば、10年×1.5=15年となる。
「監禁継続の手段として行われた行為であり、その動機に酌量の余地はない」「そのほかにも十数回に渡り、被害者(房子さん)に使用させるための日用品を多数万引きしていた。常習性が顕著で犯情も悪質である」
「窃盗については被害額が弁償されていることが重要。本件の被害額は2,464円と極めて少額である。違法性は低いとみるべき」「他にも行った万引きがあるのは事実であるが、あくまで起訴されている件について判断されるべきである。本件が5年も罪を重くするほどのものとは到底思えない」
精神鑑定
公判前に行われた佐藤に対する簡易精神鑑定では、「自己愛性パーソナリティ障害*および強迫性障害である」としながらも、「被告人に統合失調症**は認められない」とされた。
*別称:「自己愛性人格障害」
**当時は「分裂症」と呼ばれた
これを受けて佐藤の弁護人は、佐藤が病的な潔癖症であること、母親が事件発覚の数年前から度々精神科に相談していた事実などから、
「(佐藤には)正常な感覚では理解できない部分がみられる」
「精神状態は正常でなかったと判断すべき」
として本鑑定を求めた。
尚、このとき佐藤へ下された診断は「スキゾイドパーソナリティ障害」「ペドフィリア」「強迫性障害」「自己愛性パーソナリティ障害」であった。
ちなみに、佐藤が逮捕前に措置入院した病院の副院長も同様の診断を下している。
第三回公判
佐藤はこのときから、亡き父の姿や虫、蛇などがみえるといった幻覚症状、また虫の羽音や人の話し声が聞こえるといった幻聴の様相を呈するようになった。
第四回公判
このとき、精神鑑定の実施が告知された。
尚、この精神鑑定の担当については、それまで本事件について評論したことがない精神科医として、犯罪心理学が専門の帝塚山学院大学教授でもある小田 晋(前出)が選出された。
第六回公判
精神鑑定の結果が発表された。小田氏による鑑定書の内容は以下のとおりである。
被告人は狭義の精神病には罹患していない。拘禁には耐えうる。しかし、強迫性人格障害や分裂病型人格障害があることは明白であり、被告人の犯行に若干の影響を与えたことは考慮すべきであろう。引用:Wikipedia
第七回公判 (結審)
2000年11月30日。
検察側
論告求刑が行われる。
ここで検察は佐藤の犯行に対して、以下のように厳しく糾弾した。
「鬼畜の所業」
「極悪非道である」
「非人道的で血の通った人間の行いとは思えない」
その上で、懲役15年を求刑(先述のとおり併合罪に基づき)。また、「当然のことながら、未決勾留日数は1日たりとも算入すべきではない」という異例ともいえる進言をした。
「通算」・・・法律によって必ずカウントしなければならない
弁護側
一方、弁護側の最終答弁では小田氏の鑑定書に記述された文末の”強迫性人格障害や分裂病型人格障害があることは明白であり、被告人の犯行に若干の影響を与えたことは考慮すべきであろう”という箇所を強調した。その上で、「佐藤が房子さん拉致時において、心神耗弱の状態にあった」と主張した。これと併せて、この房子さん拉致(略取誘拐罪)は「房子さんを自室に連れ込んだ時点で完結しており、公訴時効(時効期間は7年/当時)によって免訴されるべきである」と主張。さらには、「佐藤の犯行に計画性を裏付ける証拠が見当たらないこと」や「監禁中に佐藤が房子さんに娯楽を与えるなどの配慮していたこと」などを挙げ、情状酌量を乞い、また適正な判断を仰いだ。
検察側と弁護側の双方、こうした互いの主張を経て、全七回となる審理が結審した―。
判決
地裁 (一審)
2002年1月22日。
新潟地方裁判所にて、判決公判が開かれた。ここで榊 五十雄(さかき いそお)裁判長は佐藤に対して、懲役14年の判決を言い渡した。
尚、前出の検察による”未決勾留日数は1日たりとも算入すべきではない”という進言は聴き入れられず、350日の未決勾留日数は算入されることとなった(=懲役14年から350日引かれる)。
判決文
未成年者略取と逮捕監禁致傷の両件について—。
「動機・態様は極めて悪質で、その発生した被害結果などはあまりにも重大であり、刑法が構成要件として想定する犯行のなかでも最悪の所為」
また窃盗(房子さん用下着の万引きの件)について—。
「監禁の犯行を継続し、その犯行に資するがために敢行されたもので、その動機および様態などは相当に悪質であって、未成年者略取および逮捕監禁致傷の犯状をいっそう悪化させている」
14年という量刑について—。
「逮捕監禁致傷の法定刑の範囲内では、適性妥当な量刑はできないものと思料し、同罪の刑に法定の併合罪加重をした刑期の範囲内で、被告人を主文の刑に処することにした」
弁護側の主張のうち、略取誘拐の公訴時効について—。
「本件は全体として一個の行為が略取罪と逮捕監禁という数個の罪名に触れる刑科上一罪としての観念的競合の関係にある。さらに、逮捕行為及び監禁行為は包括一罪となるから、被害者が解放された時点まで犯罪として継続したことになる」などとしてこれを退けた。
また心神耗弱についても「認められない」とした。
被告(弁護側)による控訴
判決の翌日(23日)、弁護人が控訴の意思を問うと、佐藤は「控訴します」と即答した。佐藤のこの意思に則り、この日の翌24日に控訴手続きが行われた。以下は控訴趣意書が言及する主な項目である。
- 未成年者略取罪と公訴時効
- 窃盗と併合罪加重
- 佐藤が抱える諸精神疾患に対する無理解や考慮不足
- 監禁態様の評価に対する不服
- 監禁期間9年2カ月の評価と量刑判断に対する不服
これを受けた新潟地検は控訴しない考えを示し、これにより二審以降の量刑は最高でも14年以下となることが確定した。
高裁 (二審)
2002年12月10日。
東京高等裁判所で開かれた控訴審。山田 利夫(やまだ としお)裁判長は一審判決を棄却。佐藤に対し、懲役11年の判決を言い渡した。
尚、高裁は一審判決における併合罪の解釈に誤りがあったとして、控訴審での判決に対して以下のように言及した。
「(量刑について)未成年者略取と逮捕監禁致傷においては、法の許す範囲で最も重い刑を言い渡すべきである」
「窃盗(万引き)については、逮捕監禁致傷との関連性を踏まえつつ、同種事犯における量刑との均衡を考慮しなくてはならない」
「一連の諸事情を総合的に鑑みて、被告人(佐藤)を懲役11年に処するのが妥当」
高裁の下したこの懲役11年という量刑は、
【逮捕監禁致傷 10年(最高刑)】+【窃盗 1年】= 11年
このようにして導き出されたものであった。
山田裁判長は判決を読み上げた後、佐藤に向けてこう説諭した。
「判決は懲役14年から11年に短縮されましたが、”犯情が良い”とか情状酌量であるということでは決してありません」
「ひとりの人間の大切な時間を奪ったということ、これを十分に反省するよう強く望みます」
このとき山田裁判長は併せて自身の考えを以下のように述べている。
「逮捕監禁致傷の量刑の上限が懲役10年、”もっと重罰にすべき”というような国民の法感情があるとすれば、この先法律を改正するほかない」
原告(検察側)による上告
控訴審の判決を受けた被害者家族は、これを不服として、コメントと共に上告する意思を示した。
「9年2カ月15日に及ぶ長期の監禁から無事保護され、3年が過ぎようとしています。娘(房子さん)と私たち家族にとって、この時間の重さを今日の判決で求めることは到底できません」
「親として被告(佐藤)をこのような形でしか裁くことのできない現状に無念さを感じ、”許せない”という気持ちが強まるばかりです」
控訴審の判決から10日後の12月20日。
東京高検は「高裁判決は法令の解釈に重大な誤りがあり、これを是正しなければ著しく正義に反する」として上告を決定した。
ちなみに、控訴審より担当となった佐藤の弁護人(国選)は控訴審判決を受け入れる方針であった。ところが佐藤は、「二審判決(控訴審判決)は、一審の新潟地裁判決と同じように事実誤認がある。また、二つの罪を合わせて懲役11年という判決も、不当に重いため不服である」とする自筆の上告書を提出。こちらも上告することとなり、いよいよ最高裁にまでもつれ込む事態となった—。
最高裁 (三審)
2003年6月12日。
最高裁判所の第一小法廷にて、上告審の弁論が行われた。検察、弁護側双方が裁判の焦点となる「併合罪」についての意見陳述を行った。
検察側は、以下のように主張。
「複数の犯罪行為がひとりの人間に対して行われており、処断刑*は犯罪行為と犯人の人格とを総合的に勘案すべき」
「控訴審判決の懲役11年は軽すぎる」
*加重や減軽をして修正を加えた刑のこと
一方で、弁護側は次のように主張した。
「検察側の主張では恣意的に刑が加重される恐れがある」
「法治国家である我が国が長年培ってきた罪刑法定主義、この原則に立つべきである」
最高裁判決公判
最高裁判所第一小法廷の深澤 武久(ふかざわ たけひさ)裁判長は、二審判決(控訴審判決)を破棄して一審判決の懲役14年を支持、被告(佐藤)側の控訴・上告を棄却する判決を下した。これにより、佐藤の刑は懲役14年で確定した。
判決確定後の動き
法改正
改正刑法が施行され、佐藤の主たる罪であった「逮捕監禁致傷」の懲役および禁固の上限が10年から15年に引き上げられた。
刑確定後の佐藤
収監から出所まで
公判中から体重を減らしていた佐藤であったが、収監されてからはこれが著しくなり、やがて歩行に介助が必要な状態となった。その後、移送先の八王子医療刑務所にて治療を施されたとされている。
2015年、『週刊新潮』(2月19日号)が報じた記事によると、佐藤は千葉刑務所で服役。2015年4月には満期出所した。
出所後
出所以降、佐藤は千葉県内のアパートにて独居していたが、2017年(平成29年)頃に自室で病死したと伝えられている*。
*これは2020年(令和2年)1月23日に地元紙『新潟日報』が報じた
オラクルベリー・ズボンスキ