命をお金で売買する・・・臓器移植の裏側にある事実とは

臓器移植については肯定的な意見が多いというのは充分に承知しています。

「命のリレー」そんな言葉で臓器移植を表現することもある臓器移植・・・ですが、臓器移植には今の世の中にある決定的な格差と社会に潜んでいる闇があることをこの記事で触れていきます。

腎臓に疾患があっても生きることはできる

この記事を書いている私は、腎臓に疾患を抱えていて「いつ透析をしなければならなくなるか」も解らない人間です。

そんな私にとって、臓器移植という言葉は決して他人事ではありません。身近に透析をしている人もいらっしゃいますし、その大変さが全く解らないというわけではありません。

でも、日本にいる以上、腎不全になっても治療を受け、そして、透析をしていれば命がすぐになくなってしまうことはありません。20年以上を透析をして生活をしている人もいますが、少なくとも「生きて生活できる」のは紛れもない事実としてそこにあります。

日本は恵まれている

ですが、世界に目を向けるとどうでしょうか。

透析が受けられる環境にない発展途上国などの場合、腎臓に疾患があったらそこに待っているのは死です。腎不全になれば、死ぬしかないという地域や、高額な医療費がかかるため、現実的に透析を受けられず命をつなぐことができない人々もいます。

日本には、全国各地に透析の施設が備わっていて、私のように田舎に住んでいても腎不全になった場合でも透析を受けることができるでしょう。そんな環境は客観的見てとても恵まれています。

ですが、それでも「外国で臓器移植したい」という透析患者や腎臓に疾患を持っているの人がいるのも事実・・・もちろん、つらさが解らないわけではないありません。でもね、こんなに恵まれた環境にあるのに「透析がつらいから、「もう移植しか生きていく道がない」ということはないでしょう。

冷たい言い方をするなら、臓器移植をしてもしなくても人間は必ず死ぬんです。腎臓は生体肝移植も可能ですが、国内ではダナーになれるのは近親者のみ、しかもドナーにも負担があります。

だから「外国で臓器移植したい」そんな言葉を聞くと、その裏にある心の闇・・・「快適にもっと楽になりたいの」というエゴを見てしまったような気持ちになります。

臓器移植と命とお金

もちろん臓器移植をしなければ助かる道がない疾患はあるでしょう。

死にたくない!と思う気持ちや、大切な人の命をなんとかして「助けたい」と思うのは当然のこと。ですが、腎不全がそうであるように、移植という選択肢すら与えられないまま、同じ疾患で命を落とすしかない環境は世界中のいたるところにあります。

正確に言えば「臓器移植しか助かる道がない」

のではなく

「臓器移植をしないと命が短くなってしまう」

のが正解。だって、どんなに健康な人でも、人間は必ず死にますから。

生体肝移植が可能な臓器もありますが、心臓などの臓器はドナーとなって摘出した時点でそのドナーは死を迎えます。そして、今の時点で心臓を人工的に作って移植に使用する治療法は確立されていないこのですから、原材料は「人」です。

海外では違法な臓器売買が行われており、お金を出せばどんな臓器でも移植できる・・・と言いますが、移植される側が見ることはないドナー側の事情がすべてクリーンなものであるという保証はありません。

疾患を治療して、誰かの命の時間を長くすることは、他の誰かの時間も一緒に移植するということでもあります。そして、多くの場合、少なくとも移植を受けられる側の人間は、お金を持った先進国の人間です。命のリレーのバトンを受け取れるかは、お金で決まるという事実がそこにはあります。

人身売買で臓器が取引されている事実

命のリレー・・・というととてもきれいな言葉ですが、臓器を売買することば目的で人身売買が行われています。

違法で残虐な手段で取引された臓器は、世界の闇市場とも呼べるマーケットで売り買いされています。臓器を買うのはお金を持った人間、そして、売るのは貧困している人間という構図が出来上がっていることは想像に難くありません。もちろん、大人だけでなく子供もその対象になっています。

日本では臓器売買は禁止されていますが、過去に臓器移植法違反で摘発されたケースもあります。

参考資料:ユニセフ

 

 

脳死が人の死かについても争いがある

臓器売買はダメだけど、脳死のドナーからだったら「命のリレーじゃない」という意見もあることでしょう。もちろん、ドナーが脳死とは何かを理解した上で提供するのなら、そうかもしれません。

でも、脳死が人の死であるかについては、以前から争いあります。実際に脳死と判定された人が長く生きたという事例もありますし、出産をしたというケースもありますし、脳死から復活した事例もあります。となると・・・脳死は死ではないという考え方にも一理あるのです。

脳死になったらもう元には戻れないから臓器移植のドナーにする・・・ということは、脳死状態の人を殺して他に人に臓器をプレゼントすることともいえます。

まとめ

臓器移植は命のリレー・・・そんなキャッチコピーを聞くととても美しいことのように思えますが、臓器移植の裏にある社会的な格差や闇について新聞やテレビが報じる機会は多くありません。

少しでもその事実を知っていただければと思います。

 

参考資料:私たちはどこへ行くのか(1)生命を売買する社会

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