渡来人秦氏はどこから来て何を残したのか?稲荷信仰の祖とルーツ【連載:秦氏と稲荷信仰の謎に迫る】第1話

皆さんは、自分の国である日本の成り立ちについて研究したことがあるでしょうか?

おそらくは大多数の人が、縄文時代や弥生時代などを学校や教科書で学ぶだけで、そこから歴史の勉強は一気に加速してしまうこともあり、日本の古代史についてはほとんど学ぶ機会を与えられません。そのせいで我々日本人に大きく影響を与えた『渡来人』についても同じく学ぶ機会を与えられません。

日本の古代史には様々な不明点や、未だに解明されていない謎が多くあり、日本人の科学的なルーツについては、もはや”分からない部分”の方が多いのです。

そんな分からない部分を史書としてまとめているのが「古事記」と「日本書紀」という古文書です。

しかし、古事記が歴史上成立したのは、西暦約700年より後だと言われています。

公開日:2019年11月1日 更新日:2020年2月28日

日本の正式な歴史書である古事記が西暦700年という異常

古事記に関しても編纂された経緯があり、後の天智天皇となる中大兄皇子が蘇我氏(蘇我入鹿)を暗殺した際に、争いから生まれた大火などによっていくつもの歴史書が焼失してしまったことが原因だと言われています。

その後、天武天皇とその皇女であった元明天皇によって数世紀かけて完成されたのです。

散見した史書や歴史を統一するにはそれだけの時間がかかったという訳ですね。

つまり、古事記に編纂された歴史というものが本当に日本の古代を描写しているかというと必ずしもそうではないともかんがえられるのです。

また、古事記は基本的に国内向けに作られたものだということもあり、様々な神々が地上に降りてきたという創造論をメインに作られています。

日本史といえば「戦国時代」や「明治維新」などは人気のジャンルですが、古事記が編纂された時代はいわゆる中世です。

先に述べた戦国時代や江戸末期などは、古代と比較すると時代が新しいため、史料や文書が現存されており、史実の中に様々な逸話などもあることからテレビドラマなどにも取り上げられやすい傾向にあります。

こういった古代の文化の継承が繰り返されて、現在に至るまで当時の文化の面影を残しているのが現代なのですが、日本人の多くは自分たちのルーツについてを知らないのが現実です。

これら世間一般に陽の当てられている時代の裏で、今の日本人には想像も付かないようなミステリアスな存在があったかもしれないと考えると、、、。

日本の古代史には謎とロマンが詰まっていると思いませんか?

謎だらけ!古代日本の成り立ちと渡来人「秦氏」

そんな謎の多い日本の成り立ちや歴史ですが、古代には渡来人と呼ばれる人たちがいました。

縄文時代の文化が弥生時代で稲作などが広まり発展したように、日本の文化には海外から伝わった後に広がったものが数多くあります。

そんな文化を持って海外から日本へ渡ってきた人たちは「渡来人」として歴史書の僅かな部分に史料として登場します。

そんな渡来人の一族の1つが「秦氏」と呼ばれる家系です。

秦氏(はたうじ)と呼ばれるこの一族は一般的に教科書などで学ぶことはほとんどありませんが、日本の文化へ非常に大きな影響をもたらしたと言われています。

秦氏一族の持っていた文明は非常に高度であり、様々な知恵や文化を日本へ渡来したあとに根付かせたと言います。

古事記によれば秦氏は「第15代 応神天皇」の時代に渡来したとされています。

ただ、先に述べたように古事記が全てにおいて正しいという訳ではありません。

なぜなら、応神天皇の生年月日は西暦200年とされており、逝去は西暦310年3月31日と記されているからです。

また応神天皇自身の実在が疑われているという研究もありますが、これも真偽は不明なのです。

秦氏のルーツを考察してみる

秦氏の一族は元々朝鮮半島を拠点にしていたと言われていますが、出自に関しては非常に多くの説が唱えられています 。

また、日本で数多く信仰されている伏見稲荷を始めとした稲荷信仰についても関わりがあるとされています。

このシリーズでは、そんな謎の渡来人である秦氏のルーツや日本に来た後の活動や関わりなどについて数ある諸説の中からいくつかのエピソードを紹介していきます。

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