『竹内文書』は偽書?本物である3つの証拠

『竹内文書』という謎とロマンに満ちた古文書は知っていますか?

『竹内文書』の内容については前回くわしく紹介しましたので、興味のある方はぜひ前回の記事から読んでほしいのですが……要約すると、日本人はムー大陸の子孫で、超古代文明が存在する世界の中心だった、キリストも釈迦も日本に来て天皇に仕えた……というのです。

そんなトンデモな『竹内文書』ですから、書かれている内容が本物だと信じている人はほとんどいません。また科学的な調査で近代の紙だと判明し、偽書だと確定しました。

しかし『竹内文書』に書かれていることすべてが創作とすると、それはそれでつじつまがあわないということは、意外と知られていません。つまり、『竹内文書』は本物だという可能性があるのです。

今回は『竹内文書』の信憑性について紹介し、偽書なのか? 本物なのか? 筆者が注目した3つのポイントを紹介します。

『竹内文書』は偽書?本物?

あらためて検証するまでもありませんが、『竹内文書』の内容は荒唐無稽です。日本人がムー大陸の子孫で、伝説の超金属ヒヒイロカネを有し、世界の中心で釈迦やモーセも日本に来て、天皇はUFOに乗った……なんて内容、普通に考えればフィクションに決まっています。

そもそも古文書とされていた紙自体が、近代の紙だと科学的に判明していますから、『竹内文書』は偽書なのです。

おそらくは『竹内文書』の所有者である竹内巨麿(たけのうちきよまろ)が、自身が起こした新興宗教「天津教」の聖典としての権威付けをするために、架空の神話を創造したのでしょう。

しかし『竹内文書』の内容がすべて創作だとすると、それはそれでつじつまが合わないのです。

つまり、『竹内文書』が偽書=竹内巨麿のねつ造だとしても、『竹内文書』に書かれた内容がすべてフィクションとは限らない……ということです。

そこで『竹内文書』が本物(かもしれない)証拠を3つ紹介します。

『竹内文書』が本物の証拠①青森県のキリストの墓

『竹内文書』によれば、ゴルゴダの丘で処刑されたイエス・キリストは影武者(弟のイスキリ)で、本物のキリストはかつて神学を学んだ日本の青森県に逃げのび、戸来(へらい)村でその一生を終えた……といいます。

こんな話、とうてい信じられません。

しかし実際に竹内巨麿は『竹内文書』をもとに、青森県戸来村からキリストの墓と思われる「十来塚」という塚を発見しました。十来塚は現代でも「日本のキリストの墓」として青森県の観光名所の1つになっています。

「ただのこじつけだろう」と思う人も多いでしょう。しかしその後の調査で、戸来村や十来塚の所有者である沢口家から、キリストとの関連を示す状況証拠が次々と見つかったのです。

沢口家の家紋はユダヤの象徴である六亡星、いわゆるダビデの星と同じです。戸来村では赤ん坊をはじめて外に出すときや、棺に墨で「十字」を書く風習がありますが、十字といえばキリスト。さらに戸来村の男性の作業着「ハラデ」はユダヤ(今のパレスチナ)で使われている作業着そっくりで、名前もヘブライ語の「ハラート」にそっくり。そもそも「戸来村(へらい-)」という村の名からして「ヘブライ」に似ています。

イスラエルの国旗に記された「ダビデの星(六芒星)」

きわめつけが戸来村一帯で昔から歌い継がれてきた「ナニャドヤラ」という民謡です。

「ナニャドヤラ。ナニャドナサレノ。ナニャドヤラー」という地元の人たちでさえ意味不明の歌詞だったのですが、これを神学博士の川守田英二氏がヘブライ語に直してみたところ、なんと意味が通じる歌詞になったのです。

「お前の聖名をほめたたえん。お前に毛人を掃討して、お前の聖名をほめたたえん」

「『竹内文書』が偽書だからキリストの墓もねつ造である」というのなら、竹内家の祖先が戸来村の開拓者で、その村にわざわざキリストやユダヤの風習・民謡・地名を残したということになります。しかも竹内家の祖先は古代ヘブライ語やユダヤの文化に精通していなければならず、とうてい信じられません。

『竹内文書』とは無関係に、戸来村にキリストの墓が伝わっていたという方が、よっぽど自然です。

もちろん、実際にキリストが日本にやってきたのかはわかりません。古い時代にやってきた外国人キリシタンが、自分のことをキリストと騙ったのかもしれません。

しかし「キリストと名乗る人物が戸来村にやってきて一生を終えた」という、歴史書にも地元民の口承にも伝わっていない伝承が存在し、ユダヤの文化が戸来村に残されていたことは間違いのない「事実」です。

竹内巨麿が『竹内文書』をもとに、今まで歴史学者も地元の人も知らなかった青森県戸来村のユダヤ・キリストにまつわる伝説を発見したのはまぎれもない事実なのです。

青森県のキリストの墓についてはコチラでくわしく紹介しています。

『竹内文書』が本物の証拠②日本のピラミッド

今となっては有名な話ですが、ピラミッドはエジプトやアメリカ南部だけでなく、日本の全国各地にも存在しています。

日本のピラミッドはエジプトのものとは違い、自然の山に手を加えた半人工であることが特徴です。

そんな日本のピラミッドをいくつも発見したのは酒井勝軍氏ですが、彼もまた、『竹内文書』をもとにピラミッドを発見しました。

『竹内文書』によれば、古代の日本人がピラミッドを作ったといい、作った天皇の名前や場所、年代、そしてピラミッドの様式(どのような石組みがなされているかなど)もしっかりと書き残されています。

そして酒井勝軍氏が発見した広島県青森県岩手県のピラミッドからは、『竹内文書』に書かれた通りの遺構が発掘されました。巨石の遺構もあり、ねつ造は不可能です。

これらもキリストの墓と同様、本当に超古代の天皇によって作られたピラミッドなのかはわかりません。しかし酒井勝軍氏が『竹内文書』をもとに、歴史書に残されていないピラミッド(と思われる数々の遺跡)を発見したのはまぎれもない事実なのです。

日本のピラミッドについてはコチラでくわしく紹介しています。

『竹内文書』が本物の証拠③ムー大陸とヒヒイロカネ

『竹内文書』によれば、日本人は伝説の超古代文明「ムー大陸(ムー文明)」の子孫だといいます。今から5000年前にムー大陸は沈没し、ムー人は日本の東北に避難したのだとか。

キリストやピラミッドの時点で怪しいのに、ムー大陸まで持ち出されるともう信じられるわけがありません。しかし……ここにもいくつかミステリーがあります。

まず、ムー大陸(ムー文明)の名を有名にしたのは、チャーチワードというイギリス人です。チャーチワードはインドの粘土板に記された「ムー」という謎の

古代文明に興味をもち、世界各地の資料を調べます。そしてムー大陸のことを本にして最初に発表したのが、1931年のこと。

しかし、『竹内文書』が公表されたのはその3年も前の1928年です。

竹内巨麿がチャーチワードとの間に親交があった記録はありません。もし『竹内文書』に書かれたムー大陸が竹内巨麿の創作なら、彼はどうやってムーのことを知ったのでしょうか?

考えられるのは、竹内家のある東北にムー大陸の伝説が独自に残されていた……という可能性です。

そんな可能性を裏付けるのが、岩手県のヒヒイロカネ伝説です。

ヒヒイロカネとはムー大陸で使われていた謎の金属で、決してさびないのだとか。そして『竹内文書』によれば、岩手県の五葉山(ピラミッド)でヒヒイロカネが生産されたというのです。

酒井勝軍氏は岩手県を訪れて情報収集をしますが、そんな話はまったく伝わっていません。しかし五葉山を調査したところ、山頂から巨大な人口の石組みを発見。さらに超古代文明を示唆するような伝説が、民謡に形を変えて地元に残されていることがわかったのです。

ムー伝説やヒヒイロカネ伝説が事実かどうかはさておいて、『竹内文書』がただの創作ではなく、何らかの歴史的裏付けから作られたものだとわかる一件です。

五葉山のヒヒイロカネについてはコチラでくわしく紹介しています。

竹内家の祖先は、東北に伝わっていた様々な伝説や口承を収集し、書き残していたのではないでしょうか。その中にピラミッド伝説なり、キリスト伝説なり、ムー伝説なりが伝わっていたのでしょう。それらの伝説は日本神話や歴史書には伝わっていない、今は忘れ去られてしまった民間の伝承です。

それらの膨大な伝説をもとに、竹内巨麿は自身の起こした天津教の聖典として神話風の脚色を加え、『竹内文書』を編さんしたのではないでしょうか?

……つまり、『竹内文書』が偽書だとしても、『竹内文書』には本物の伝説がまだ含まれている可能性が高いということです。

そう考えるとロマンがありますよね!

次回も古史古伝シリーズとして、戦後最大の偽書と呼ばれた『東日流外三郡誌』について紹介します。興味のある方はぜひご覧ください。

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