戦国武将はみんなやっていた?!乱妨取りが怖い

突然ですが、みなさんは戦国武将って好きですか?

歴史にあまり興味がないという方でも、豊臣秀吉や徳川家康、織田信長などの人気武将は耳にしたことがあるでしょうし、歴史が好きという方なら、肩入れしている武将がいるという方もいらっしゃることでしょう。

勇猛果敢な戦国武将をイメージして戦国の世に想いを馳せる…歴史から学ぶこともできますし、戦国時代を知ると楽しいですよね。

と、歴史の中でも人気が高い戦国時代ですが、優れた知略や戦闘の陰に隠れた怖い風習「乱妨取り」についてご紹介します。

公開日:2019年9月21日 更新日:2020年1月13日

乱妨取りってなに?戦国時代は怖い時代だった?

乱妨取りとは、戦国時代の戦闘をする時に行われていたことです。

戦国時代や安土桃山時代は、日本中のいたるところで戦闘が行われていました。

そして、その戦いの後…勝者となった武将が敗北した側の人や財産を掠奪するというものでした。

負けた側の武将はほとんどの場合、その場で切られるか切腹するか…逃げられても落ち武者になるわけですが、残された兵士やその領地にいた一般市民は乱妨取りの対象でした。

乱妨取りで勝者が奪うものは「人」「武器」「食べ物」「領地」などなど。食べ物や領地、武器は解りますが、人を乱妨取りするとはどういうことでしょうか。

ちょっと嫌な予感がしていたというあなた…多分、正解です。

人とは、兵士と領地に住んでいる領民が対象…。

兵士は才能あるものは勝者側の配下として働くこともありましたが、領民を乱取りするとはどういうことだったのでしょうか。

まず、男性に関しては働き手になるわけですが、女性は性の対象でした。また、海外に奴隷として人身売買されていたという話しもあります。

ちょっと想像してみてください。

自分が住んでいる場所で戦闘が起こったとしましょう。

自分が生活している場所に矢が飛んできて武装した兵士が刀や槍をもって押し寄せてきます。

場合によっては領民も殺されることがありますし、目の前で兵士と兵士が殺し合いをするわけです。

そんな地獄絵図の中で、今度は家の中にまで兵士が入ってきて女性を誘拐し、家の中をあさって食べ物や家の中にあるものどんどん物色していきます。

この場合の女性は性欲の対象ですから、誘拐された場合は敵陣の兵士に強姦されることになります。

抵抗すれば命はないでしょうし、逃げることもできません。平穏に生活していたとしても突如としてそんなことが起るのが戦国時代の常だったのです。

そして、兵士に目を向けてみましょう。

殺し合いをして負けた兵士は、名のある武将の場合は首を落とされて「戦利品」として生首を持ち替えられます。

そして、名のない兵士の場合は、身に着けている甲冑や刀、そして、持っている食糧はすべて身ぐるみ剥がされて遺体はそのまま放置されます。

そして、この遺体は乱妨取りから逃れた領民によって埋葬されます。

乱妨取りどんな人でもしていた?

想像してみるとかなり怖い乱妨取りですが、戦国時代から安土桃山時代にかけてはこれは当たり前の事でした。

今のようにものがたくさんある時代ではありませんから、敵が持っているものを略奪することは戦闘の利益でもあったのでしょう。

乱妨取りは、奴隷狩りとも呼ばれていて 日本各地で日常的にあったのです、つまり、有名な戦国武将のほとんどがこの乱妨取りをしていました。

これが普通だったのです。

乱妨取りで捉えられた人はどこへいった?

乱妨取りで捉えられた領民や兵士で、勝者側の配下とならない人たちが最も過酷な運命をたどることになりました。外国に奴隷として人身売買されたそうです。

戦をするにもお金がかかるわけですから、戦国武将にとって人身売買は美味しいビジネスでもあったのです。

人身売買で奴隷として海外に売られていた日本人がその後、どんな人生を送ったのかは記録に残されていません。

ですが、言葉も通じない外国に船に乗せられて送られるときの恐怖は相当なものだったことでしょう。自分の故郷に帰ることは二度とできませんし、自由な生活を送ることも二度とできないわけです。

ここからは推測の域をでませんが、この当時、奴隷売買がさかんに行われていたのがポルトガルでした。

そして、乱妨取りで捉えられた日本人もたくさん奴隷として売られていたと言われています。

日本人はポルトガル人にとっては珍しいものですから、高値で売買されていたわけで戦国武将にとってはおいしいビジネスだったのです。

もちろん、戦国武将がポルトガルに行くわけではなく、日本に奴隷を買いに来ているポルトガル人がいたということ…。

男性は肉体労働者として、女性は性の対象や使用人として…死ぬまで働くしかなかったのです。当時のフィリピンのマニラには、こうやって売られた日本人のコミュニティがあったとも言われています。

そして、年老いて身体が動かなくなったら、解放される…。つまり捨てられるのです。

日本人が奴隷として売られていた…実はこのお話は、別の回でご紹介するキリスト教弾圧の理由にもつながる話です。

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昔、まだ、人が物として売られることがあった時代に、実は、日本人奴隷がいた…それもヨーロッパなどの遠い国に…。と……

「戦国武将はみんなやっていた?!乱妨取りが怖い」のまとめ

今回は、戦国時代の怖い習慣、乱妨取りと人身売買についてお話しましたがいかがでしたか?

日本は平和な国…奴隷なんていなかった…証拠もなくそう思っているとしたらそれは大きな間違い…。

静かに畑を作って生活していたのに突如として戦闘が起って捉えられて外国に奴隷として売られた日本人がじっさいにいたのです。

戦国時代の人身売買とは?

今回紹介した戦国時代の風習であった「乱妨取り」は、いわば勝者の特権であり、他の国などでも行われてきたような習慣だと言えます。

しかし、「人身売買」となると話は別になりますよね。

俗に言う戦国時代は室町時代からですが、足利将軍の時代、織田信長などが活躍していた頃には、スペインやポルトガルなどの宣教師が日本を訪れています。

有名なフランシスコ・ザビエルなども「イエズス会」の宗派であり、当時の南蛮貿易や人身売買にも関わったのだとか…。

オカルトオンラインでは、他にも昔の日本の怖い風習について紹介しています。東北では、飢饉のときに子殺しや人肉食を行っていました

コチラでくわしく紹介していますので、ぜひご覧ください。