新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件 -前編-

“女の若さと美しさは金に換えられる”

東京都渋谷区にある高級デザイナーズマンション。そこで外資系投資会社に勤める夫と共に暮らしていた妻。それは俗に”セレブ”と呼ばれる暮らしぶりであった。
2人の間に子はなく、そこは愛の巣。いや、それならばまだよかった—。

 

「新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件」の概要

2006年(平成18年)。
東京都渋谷区のマンションの一室で、就寝中の夫が妻により殴殺された事件。その後、殺害した妻により遺体は切断され、都内各所にこれらが遺棄された殺人死体損壊遺棄事件である―。

事件の解説

事件発生

一連の犯行 (殺害から死体遺棄まで)

2006年12月12日 午前6時頃


妻・三橋 歌織(当時32歳/以下:歌織)はソファーで眠っていた夫・三橋 祐輔(当時30歳/以下:夫)を中身の入ったワインボトルで何度も殴り殺害した。周囲にあったマットレスや家具などには大量の血が飛び散り、部屋は一瞬にして凄惨な殺害現場となった。

 

12月12日 時刻不明 (9時から10時頃と推察)


事件が発生したこの日、出勤しない歌織の夫を心配した同僚が彼の携帯に何度も連絡を入れていた。ところがこれに応答がないことから、同僚は歌織の携帯に連絡を入れ「自宅を訪ねたい」と同僚の身を案じた。
このときの歌織の対応に関する詳細は明らかになっていないが、恐らく「夫が帰っていない。私も連絡が取れない」といった台詞で対応したものと推察できる。(これは後の15日に歌織が自ら捜索願を出したことから裏付けられる)

「夫の同僚の訪問」、「遺体の腐敗臭」といった懸念材料—。
時間の経過と共に焦りを感じはじめた三橋は、遺体の遺棄を画策。ところがその大きさと重さから、まずはこれを自宅で切断することに。歌織は土やブルーシート、台車、キャリーケース、のこぎりを購入した。

 

12月14日


遺体解体の手順は、まず横に寝かせたクローゼット内に土を詰め、そこでのこぎりを用いて解体作業を行った。尚、クローゼット内の土は血が流れ出ないようにする目的があったとされる。

(血の流出を懸念するのならば、浴槽内で行うのが合理的。歌織が遺体の解体にわざわざクローゼットと土を用いたのかは疑問である。一説には、「殺害から2日間ほど、寝かせたクローゼット内に敷き詰めた土の中で遺体を保存していた」ともいわれている。すると、クローゼットでの解体はそこからの流れであったと考えられる)

この解体作業により、遺体は「頭部」「上半身」「下半身」「左腕」「右手首」の5つのパーツに分けられた。
歌織はこうして解体した遺体の遺棄を分散して実行した―。

当時、歌織はノートに以下のように書き綴っている。

「フット、ヘッド、ハンド、バラバラ、完了…」

 

15日深夜から16日の早朝にかけて (殺害からおよそ4日後)

歌織は遺体の上半身を都内新宿区の路上に遺棄した。尚、歌織はこの移動にタクシーを利用している。つまり歌織の乗車したタクシー、その車内には遺体の上半身が同乗していたことになる。
切断された上半身は二重のビニール袋に梱包されキャリーケースに入れられていたが、およそ4日経過した遺体はかなりの異臭を放っており、このときタクシー運転手は「臭いますね」と指摘している。これに慌てた歌織はすぐにタクシーを降車。その結果として、降車地点の周辺路上(西新宿)に遺体の上半身を遺棄することになった—。

【遺体の腐敗状況】
乾燥した12月の東京は遺体の保存に適していたとはいえ、2日目からは臭いが強くなる。3日目からは相当なものになる。
遺体の遺棄の際、その道中のタクシー車内はおよそ4日経過した遺体を積載していた。しかも狭い密室である。二重のビニール袋に梱包されていたとはいえ、その臭いは相当なものであったことは想像に容易い。

ズボンスキ
当初、タクシー運転手はその悪臭に耐えていたものの、あまりの悪臭に耐え切れなくなった。そこで歌織に苦言を呈した上で、遠回しに降車を促したのではないかと筆者は推察している。

 


一方、残された下半身は、上半身の遺棄が思いのほか重く大変であったために、歌織はその遺棄現場を手近なところで考えた。その結果として、歌織は渋谷区内にある民家(空き家)の庭に遺体を遺棄した。このとき歌織は下半身遺体の運搬を台車で行っていたことから、この民家は自宅からそう遠くない場所であったと推察できる。

残された頭部はバッグに入れ、電車に乗って都内町田市の芹が谷公園内に向かい、ここに遺棄した。このとき歌織は深さ35cmほどの穴を掘り、そこに頭部を埋めた。
ちなみに、左腕右手首は生ゴミと同様の扱いで一般ゴミとして出され、隠滅された。

【遺体の状態】
頭蓋骨には8か所の挫創(損傷)と亀裂骨折(ひび)がみられた。

【歌織 死体遺棄の様子から窺えること】
女性である歌織にとって、成人男性の遺体(切り分けていたとはいえ)を持ち運ぶのはかなりの”重労働”。歌織の夫は身長170cmあったといわれている。そのせいか否か、歌織の死体遺棄の様子はどこかおざなりな印象を受ける。無計画で行き当たりばったりだ。

ちなみに、なぜ死体遺棄の実行が殺害から4日後であったのか―。これについては、本記事では次のように推察。
夫殺害後、歌織は遺体の処理方法に迷っていた。ところが夫の同僚の連絡などにより、ある種急かされた。その結果として、遺体の遺棄と併せて警察への捜索願の提出を決断。対外的には”悲劇の妻”を演じることにした。


いよいよ遺体が発見され、事件が動き出す。事件の結末は【後編】にて—。