三国志で一番悪いやつは曹丕だとしか思えない理由

皆さんは三国志に登場する悪役と聞くとどんな人物を想像するでしょうか?

暴虐の限りを尽くしたと言われる董卓?それとも裏切りに裏切りを重ねた呂布?あるいは三国志演義での悪役である曹操

細かい動きを考えると、『悪役』と考えられる武将などは多いですが、今回は個人的にもっとも悪いやつだなと思う人物。

曹操の跡を継いだ、魏の初代皇帝である曹丕について紹介します。

※あくまでも個人的見解です※

漢の時代を終わらせた曹丕(そうひ)

画像引用元:曹丕

三国志演義を読んだことのある人は気付いている方もいるかもしれませんが、三国志という名前の由来になった、『魏』『呉』『蜀』というそれぞれの国は、それぞれ、曹操、孫権、劉備によって建国された後も、しばらくは漢の皇帝が存在している状態は続いていました。

劉備はもともと漢室の再興を目指していた(あくまでも大義名分)ということもあり、帝位を狙った動きをしようとはしていません。

孫権は自国である呉を守るのに必死であり、魏と蜀の間で自国の防衛を続けています。

よく曹操が帝を手中に収めていたことから、魏の国を作って皇帝になったと勘違いしている人もいるのですが、、、

実は曹操は存命中に帝から帝位を奪おうとしたことはなかったと言われています。

そして、実際に曹操は亡くなるまでに皇帝の地位につくことはありませんでした。

曹操が亡くなった後、全ての勢力を引き継いだ曹丕は献帝に禅譲を迫って皇帝の座に即位しました。

三国志で”唯一”帝位を奪った男

三国志の史実を追っていくと、曹操が皇帝になれるタイミングは何回もあったと言っても過言ではありません。

それは、董卓などの一時的に勢力を持った人物にも言えることですが、曹操に関しては官渡の戦いを制した段階で圧倒的な勢力を誇っていたからです。

生涯帝位を簒奪することはなく、漢の丞相のままこの世を去ります。

しかし、曹操が亡くなった直後に漢の献帝を排除し、事実上の国を乗っ取ったのは、三国志の時代で曹丕ただ一人です。

曹丕が皇帝を名乗ったため、後に続くように劉備は蜀の皇帝を名乗り、孫権も呉の皇帝となります。

こういった行動を見ると、曹丕も劉備も孫権も同じように皇帝を名乗っていると思われるかもしれませんが、本質的な意味が全く違うのです。

当時中国を統一していた王朝はいわゆる後漢であり、漢という大きな国の中に魏、呉、蜀という3つの勢力が存在していた状態です。

画像引用元:三国志(歴史書)

あくまでも、漢の中で3つの大きな勢力とそれらに属していない一部の勢力で国の中が成り立っていた訳ですが、曹丕が禅譲を迫って皇帝になったことによって後漢という中国の王朝は消滅したのです。

そして、魏の国が正当な王朝になったことによって、それに反旗を翻すために『蜀』と『呉』の国家として独立を果たした形になったわけです。

つまり、曹丕が皇帝になってからしばらくは、中国の中に国が大きく3つ存在していたことになります。

皇帝の地位を奪った罪は重い

三国志の時代には多くの登場人物が存在していますが、権力と力によって皇帝の地位を奪ったのは、唯一、曹丕だけでした。

この時代、多くの英雄は、あくまでも漢の中での権力争いをしていた訳ですが、父親が築き上げてきた力をそのまま使って皇帝になった曹丕は逆賊として汚名を被っても仕方のない行動だとも考えられる訳です。

その証拠に、曹操の死によって天下が再び乱れると考えた、曹操軍の主力部隊であった青洲兵は、魏の国を離れたとも言われています。

ちなみに、曹丕が強行して進めた主な南征のほとんどは敗北に終わっています。

曹丕はわずか40歳で亡くなったため、内政では功績を残したとも言われていますが、外交や戦争に関してはほとんど才能を発揮することはありませんでした。