古代エジプトの三大ピラミッドに見る小さなレイライン

古代エジプト文明はナイル川を中心に広がった世界四大文明の1つであり、紀元前3000年頃にはすでに高度な技術を持っていたことで有名です。

ファラオによる階級制度のある社会形成や、都市建設を始めとした統治国家があったことは広く知られている事実ですが、その中でも代表的な建造物としてピラミッドが挙げられます。

エジプトには数多くのピラミッドが現存していますが、その中でも異様な存在感を持っているのが「ギザの大ピラミッド」と呼ばれる3つの古いピラミッドです。

この三大ピラミッドは三角形の角が同じ方向、同じ角度、同じ方向を向いて造られており、この位置関係には意図があるとも言われています。

同じ国、同じ文明で近い位置に造られたものではありますが、これも捉え方によればレイラインと考えれるでしょう。

レイラインにはいくつかの説が言われていますが、ギザの大ピラミッドはいわゆるニューエイジに分類される解釈が強いです。

というのも、ワトキンスの提唱した古代の姿を大きく残しているのがエジプトのピラミッド遺跡であるからです。

古代エジプトの姿は考古学的にも解明されつつありますが、その位置関係や建造理由においては分からない部分もあるのです。

エジプト三大ピラミッドの概要

エジプトの三大ピラミッドは紀元前4500年頃から紀元前2000年頃に造られたものであると言われており、一番大きいピラミッドはクフ王が作ったものだという説が主流です。

クフ王が建設したギザの大ピラミッドは、ピラミッド建築の頂点とされ、最大規模を誇る。

現在高さ138.74m(もとの高さ146.59m)、底辺230.37m、勾配51度50分40、容積約235.2万m3で、平均2.5tの石灰岩を約270万-280万個積み上げたと計算される。

引用元:ギザの大ピラミッド

上記の引用を見てもらえると、ピラミッドの大きさを想像出来るでしょうか?

現在でも130メートル以上の高さを保ち続けており、底辺の長さは230メートルに及びます。

3つのピラミッドに埋葬されているのは、それぞれ、クフ王、カフラー王、メンカウラー王と言われていますが、クフ王に関しては諸説あります。

こんな巨大な建造物が、古代エジプトで紀元前に造られていたこと自体が驚きの事実ですが、このピラミッドの位置関係にはもっと不思議な意図を感じられます。

ピラミッドの角度に見えるレイライン

画像引用元:三大ピラミッド

まず、クフ王のピラミッドとカフラー王のピラミッドを斜めに結ぶレイライン。この2つの墓は明らかに意識的に並べられており、ピラミッドの向きや角の位置関係が対になっていることが分かります。

また、メンカウラー王のピラミッドはクフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッドの頂点から線を伸ばすと、ずれた位置に建造されていますが、河岸神殿からメンカウラー王のピラミッドまではいわゆる道路の直線が見られますし、メンカウラー王のピラミッドの南部にある小さな王妃のピラミッドは横に一列に整列したかのように造られているのです。

さらにクフ王のピラミッドの東にある小さなピラミッドも位置関係が直線に配置されています。

ピラミッドは大小様々なものがありますが、これらは時代が変わりながら建造されたものですから、同時代だと考えられるものにはレイラインの規則性を感じることが出来るのです。

小さなレイラインの集合体

レイラインは国を大きく跨ぐようなものから、国を超えて繋がるものに加えて、一つの文明があった場所ではこういった小さな範囲でも見つけることが出来ます。

特に、エジプトはピラミッドだけではなく守護神とされるスフィンクスも同じ領域に造られていたことから、スピリチュアルな意識を持って配置されている可能性は充分にあると言えるでしょう。

わずか、1.5キロメートルほどの範囲ですが、ピラミッドがここに造られたのには、古代エジプト文明の中に何かしらの意味を感じるのです。

ピラミッドの建設理由も奴隷労働説や公共事業説など様々な未解明なポイントがあることと、天文学の発達していたと言われる古代エジプト人の叡智が、この空間に注ぎ込まれているのかもしれません。

余談にはなりますが、ピラミッドが出来た後に、ユダヤ人の祖先であるヨセフはこのエジプトにおいて首相の地位まで登っていることが、旧約聖書には記されています。

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