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02月26日06時56分

御神木化された1本のクスノキ… 大阪中央区「舎密局跡」

「こんなところに?路上に立つ御神木」第6回目となる今回は、まるで御神木のように今も大切に残されている、大阪舎密局跡にあるクスノキをご紹介します。

ビル群でひときわ目立つ1本の大きなクスノキ

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場所は、大阪市中央区。
地下鉄・谷町4丁目を出て1分ほど歩くと、歩道を遮るかのように立っているクスノキがあります。
これまで掲載した5つの御神木をはるかに超える大きさを誇っており、その出で立ちからは風格すら漂っています。
しかし今回ご紹介する木は、御神木とは少し違ったものになっています。

かつて、この場所には大阪舎密局という建物が存在していました。
舎密局とは一体どんなことを行う場所なのでしょうか?

そもそも、舎密局って?

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「大阪舎密局(せいみきょく)」。
舎密局とは、物理化学を専攻する理化学校のことであり、遡ること明治2年に現在地である中央区大手前にて開校されました。
「舎密(せいみ)」という名前の語源は、オランダ語で化学を意味する「chemie」を日本語に音写して作られたものです。
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舎密局は大阪で初めてとなる公立学問所で、オランダ人化学教師だったクーンラート・ハラタマ氏が教頭になりました。
現在クスノキの下には、そのハラタマ氏を称える銅像が建てられています。
そして、この舎密局から後にノーベル化学賞受賞者を輩出するなど、まさしく舎密局は日本における近代化学発祥の地といえる場所です。

生徒にとって憩いのクスノキ

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では、舎密局とクスノキはどんな関係があるのでしょうか。
明治2年に開校した舎密局ですが、開校される前からクスノキは立っており、当時は舎密局で勉学に勤しむ生徒の憩いの緑陰として親しまれていました。
その後、舎密局は京都に拠点を移しましたが、クスノキは伐採されることもなく150年以上この場所に立ち続けています。

このシリーズでは「伐採した人が次々と祟りにあって事故で亡くなった…」という逸話が何度か出てきました。
一説によると、この場所で道路の拡張工事が行われる際、伐採することによって祟りが降りかかってくるのではないか…?
という風に恐れてクスノキを残し、木を避けるようにして歩道が作られた、という話もあります。

残されたクスノキ、それがいつしか…

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クスノキの下には様々な石碑が建てられていますが、なぜか祠のようなものまであります。
それは、まるで何かを祀っているかのように。
それらに関する記述やエピソードは発見できませんでしたが、「史跡 舎密局跡」という石碑があることから、このクスノキを御神木のように扱っていることが分かります。
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明治時代、多くの偉大なる学者を輩出したこの地に立つクスノキ。
それは平成となった今でも変わらず誇らしく、そして堂々と立っています。